すずめ踊りとは

1.すずめ踊り発祥の由来

仙台のすずめ踊りは、慶長8年(1603)、仙台城移徒式(新築移転の儀式)の宴席で、泉州・堺(現在の大阪府堺市)から来ていた石工たちが、即興で披露した踊りにはじまるといわれています。
西国らしい小気味よいテンポ、躍動感あふれる身振り、伊達家の家紋が「竹に雀」であったこと、はね踊る姿が餌をついばむ雀の姿に似ていたことから、いつの頃からか「雀踊り」と名付けられるようになったと言われ、長く伝えられることとなりました。
戦前までは石切町(現在の仙台市青葉区八幡町)の石工たちによって踊り継がれ、毎年、大崎八幡神社の祭礼には「雀踊り」を奉納するのが通例となっていました。しかし、戦後は「雀踊り」も次第に継承者を失い、同町石切神社にてわずかに残った石工にひっそりと受け継がれるだけとなっていました。

 

2.すずめ踊りの復活

1961年(昭和36年)、ほぼ途絶えた状態となっていた『正調雀踊り』を、石切町が学区となる仙台市立第一中学校の真山泰校長先生(当時)が、石切町の住民の記憶をもとに『仙台雀踊り』として復元しました。1963年、同校に「仙台雀踊り保存会」が結成され、女子生徒が体育の授業で『仙台雀踊り』を学び、伊達政宗に関する諸行事、地区の行事、同校の文化祭等で踊るようになりました。
1985年(昭和60年)に第1回「仙台・青葉まつり」が開催されると、同校の生徒が参加して『仙台雀踊り』を披露し、翌年の第2回ではそれまで輪踊りだったものをパレード形式に変更して披露しました。

 

3.青葉まつりでの披露

1987年(昭和62年)の第3回仙台・青葉まつりでは、『正調雀踊り』伝承者の石工・黒田虎雄氏らの指導のもと、仙台・青葉まつり協賛会が現代風にアレンジし『新・仙台すずめ踊り』として披露されました。
『新・仙台すずめ踊り』は、自由に跳ねながら踊る「ハネすずめ」と、優雅に舞う「舞すずめ」の2つが考案されました。
翌1988年(昭和63年)の第4回仙台・青葉まつりでは「仙台すずめ踊り大賞(コンテスト)」も開催されました。このときは、17組、約300人の参加でしたが、その後、年々参加する祭連や踊り手が増加し、2009年(平成21年)の第25回仙台・青葉まつりでは100祭連・約4000人の参加者で踊られました。
「仙臺すずめ踊り」は、今や杜の都を代表する郷土芸能として、青葉まつりをはじめとして、四季を通じて各地で踊られるようになりました。